Anticlimactic

最近Management and Organizationsのクラスが熱い。略して、MOと呼ぶのだが、この科目は組織においての行動やリーダーシップをいくつかのコンセプトをケースに適用しながら学ぶ形式をとっている。 そこで使われているケースがたまらない。
例えば今日のD.D.さん。 彼女の担当する業務に上層部が変革が必要だとプロジェクトチームを形成し、彼女の枠外で話が進んでいくという話。 彼女は自分の経験をもとにそんな変革は会社をだめにすると自分の首をかけて訴えた。要約するとそんな話で、この時点でケースの内容はとりあえず終わる。その後のクラスのディスカッションでそんな頑固なことをいわず彼女はもっと歩みよって、プロジェクトチームが訴えることを聞いてくれるような関係構築に力を注ぐべきではないか?という結論に教授がもっていく。 で、本当の話なので、その後彼女がどうなったか教授が教えてくれるのだが、このディスカッションの展開からして、そんな頑固な人は会社をやめさせられ、結局ろくな仕事につけないのであった、というのが、話のモラルとしては筋が通っていると思うのだが。 日本昔話もそういったモラル付けをしてくれるはずだ。
で、蓋をあけてみたら、彼女はやめて、別の会社を起こしビリオネアーになったとさ。といった結幕だった。ふぇ? なにこれ?みたいな感じ。
このMOのクラスではそんなケースがいくつもある。このクラスは結果論ではないのだ。その過程の葛藤と、そこでなにができたかが重要らしい。 したがってその後の結果として、会社をやめても人生が薔薇色だったり、マネージャのほうが勝手にやめたりとシメが悪い結果が多い。
シュールだなぁ。いいなぁ。アンチ・クライマティックだなー。と思いながら、この言葉をどう説明しようか悩んでWEBを引いたらこんな素敵な文章が。。「喜劇の本質はクライマックスではなく、アンチ・クライマックスにあり、ドラマの完成ではなく、ドラマの破壊にある。」(「現代哲学事典」 より)
やっぱり喜劇だったのか。。恐るべし。MO