Political Correctnessの反動

 先日、投資先のDue Diliをやっている時に、ある天才と変態の狭間を歩く経営者の会社について調査する機会があった。彼の名前はDov Charney、日本でも今年出店したAmerican ApparelのCEOである。
会社のメッセージにもあるように、この会社は多くのアパレル系のリテール・ショップとは違い、海外に生産を頼らない。むしろ、生産から広告まで、あらゆる行程を垂直統合したLos Angelesの工場で行われている。労働者の多くはヒスパニック移民だが、賃金は最低賃金を大きく上回り、医療保険や、英語の教育まで会社が提供している。よくNikeやGapなどのボイコット理由となる低賃金で劣悪な労働環境(Sweat Shop)とは待遇がまったく違う。そんなコスト体制でいながら、クオリティの高い服を、競争力のある値段で提供しているのだ。アメリカでは、国外へのアウトソーシングが問題になっているが、そんな問題の中で、American Apparelはモデル企業のように言われている。
 でも、多くの消費者はそんなことは気にしないだろう。CEOも社会性のあるスタンスで客が来るとは思っておらず、この会社のメッセージはセクシーさを強調した服にあると自負している。今後のGeneration Yは、性的観念は、団塊世代とはまったく違うという見解を持っていて、もっと日常に近い「性」のメッセージを自由に発信すれば共感が得られるだろうということで、広告はセクシーショットばかり。これらの写真の多くは、CEO自ら撮っていて、モデルは、会社の社員だったり、街で声をかけた女の子だったり、自分の半ケツだったり。又、CEOは複数の社員と同意の上でエッチもしていると公言し、ちっとも悪いと思っていない。当然、セクハラ訴訟が山積みだし、フェミニスト・グループに槍玉にされている。
 このおっさんの話を読んで思ったのが、何事も信念がある人間は強いと思ったことだ。アメリカにはPolitical Correctness(PC)というか、人を傷つけてはいけないということが前提にある。ビジネススクールにいると、なおさらPC意識を高めなくてはならないというプレッシャーがあり、差別用語と思われる言葉は当然使わないし、凄く些細な事でも、メッセージが正しく伝わるように細心の注意を払ったりする。ぶっちゃけ、あまりにもそんなルールが多すぎて、何を言うにも臆病になってしまうことがあるのだ。これって、何か違う気がする。当然、差別はいけない。でも、信念無くして、PCだけ気にしていれば、ただの八方美人だ。このCEOはかなりヤバい所にいるが、そんな彼でも、それなりに一貫性のあるメッセージをもっているし、自分を正統化するための論理武装もできている。PCを避けることに努力するのではなく、社会が認めてくれる信念を持つ事が根底に無ければいけないのだと思う。そういった意味で、Political Correctnessという概念があまりにも取り上げられ過ぎると思うのです。
 ちなみに、自分は彼の姿勢を肯定していて、彼のセクハラに賛同してる訳ではないですよ。。はい。